人気ブログランキング | 話題のタグを見る

興味のある物色々。賞味期限切れで廃棄されないよう気をつけます。


by Lautan

六善光寺 御開帳 岐阜善光寺

朝6時半ころ宿を出て、岐阜善光寺に着いたのが朝7寺頃。
岐阜善光寺は伊奈波神社の参道の脇にありました。
写真善光寺の脇の道の先に鳥居が見えます。後ろの山が伊奈波神社の境内です。
岐阜善光寺は今回廻った六善光寺の中で、たぶんもっとも境内の敷地面積は狭いと思いますが、隣の伊奈波神社の敷地が広いので、あまり狭さを感じません。
伊奈波神後ろの山は金華山の麓の一部です。
(google 地図)
六善光寺 御開帳 岐阜善光寺_b0107691_19405633.jpg

お寺の方が朝の掃除などをされていたので、お戒壇巡りなどはいつから出来るのかと聞いたら、ここはお戒壇巡りは無いとのことでした。御開帳は朝9時から始まるそうです。
六善光寺 御開帳 岐阜善光寺_b0107691_1941796.jpg

伊奈波神社を散策したり、喫茶店でモーニングを食べたりして9時直前に戻ってきたら、もう、ご住職が本堂内でお話をされていました。
その後、皆で般若心経を読んでおつとめした後、ご本尊を拝めます。
お寺の方(この時は女性でした)が、皆に清め香を配り、それを貰って手などになすりつけ清めてからご本尊に拝観しました。拝観後、飴を頂きました。記念にこの飴は買ってきました(5個300円)。清め香は千円だったので止め!。
この拝観は、朝9時から始まって、1時間半毎に行われるそうです。(9:00,10:30,12:00,13:30,15:00,16:30)
六善光寺 御開帳 岐阜善光寺_b0107691_19411774.jpg

武田信玄が信州善光寺からご本尊を甲斐に移したことは前に書きました。
岐阜善光寺で配られた「御本佛様と岐阜善光寺」というチラシによれば、
 天正十年、信玄の滅亡したのち、織田信長が此の岐阜の地に御本佛をお迎えします。
 しかし、いくばくもなく本能寺の変によって信長が討たれ、信長の次男信雄によって御本梯は清洲の甚目寺に移されます。
 その後、徳川家康が信雄から如来像を譲り受け、これを浜松の鴨江寺に移します。
 やがて家康の夢枕に如来様が現れ 「吾は本所へ帰るべし」 とお言常があり、甲斐へ返されました。
 その後は、豊臣秀吉によって京都 (方広寺) に迎えられますが、秀吉も病に倒れ御本佛は信濃へお帰りになりました。

と一時期、ご本尊がこの地にいらしゃったそうです。なお、その後
 信長公没後は、御本佛様をお祀りしていた此の場所に信長公の嫡孫秀信が稲葉(当時の表記)善光寺堂を建立し、善光寺如未様の御分身をお祀りしました。それを安乗院と満願寺によって護持してきましたが、明治の廃仏毀釈、神仏分離によって伊奈波神社の別当であった満願寺は廃寺となり、以降は安乗院一山でお守りしています。

だそうです。
六善光寺 御開帳 岐阜善光寺_b0107691_17245713.jpg

なお、回向柱から伸びる白い綱(ここでは布のようです)は、やがて五色の糸に代わり、最後は金糸になって御本尊の指に結ばれていますが、ご住職の話によると、厨子を閉める際に、この糸を外すので、御開帳時間外に来ても、回向柱とご本尊様は繫がっていないとのことでした。


下のブログに桜が満開な時期の伊奈波通りの写真が載っています。全然イメージが違います。
長良川温泉 若女将会ブログ
by Lautan | 2009-04-27 07:31 | 六善光寺御開帳2009